秘密の森

Meme11様作品

 私の先生が事故に遭った。事故に遭う前、電話で「会って話がしたい、とっておきの秘密があるんだ」と興奮気味に言っていたのを覚えている。
最後に先生を見たのは待ち合わせの喫茶店の窓際の席からだった。すぐ向かいの歩道で、ぼくに気づいて手を振っているとこだった。その直後に先生は車に撥ねられた。ブレーキの故
障した車が歩道に突っ込んできたのだ。
「あなたとのことよく話していたのよ。もし自分の研究を引き継がせるならあなたが良いってね。ここのところ部屋に閉じこもっていたけど急に吹っ切れたように家を出たんだけど……」
 葬儀で先生の奥さんはそう言って先生から渡されるはずだった茶色いクシャクシャの封筒をぼくに手渡した。
「中身は知らないわ。あなたにどうしても見せたいって言っていたから見ない方がいいと思って」
 中身は一枚の写真だった。きっと会って話すからそれ以外いらないと思っていたのだろう。
 どこかの森で撮影されたらしいけどピントがずれている。何か生き物が写っているようだけどもよく分からなかった。カメラの得意な先生には珍しく出来の悪い写真だ。裏には日付と撮影したらしい場所が書かれていた。筆跡を見るに間違いなく先生の字だ。
 その出来の悪い写真にぼくはいつになく惹かれるものがあった。いつもの好奇心とはまた別の、沸き上がるようなものが胸に渦巻いていた。

 日本から数時間、ぼくは写真のメモに従ってその森に来てしまっていた。
 先生の遺言じみた写真を確かめたいと言って飛び出したのだけど実際のところはただ沸き上がる好奇心を抑えることができなかった。

「森にはそれぞれその場所の雰囲気があるものだ」と先生はよく言っていた。それは人に対して“真面目に見える”とか“いろいろ知っていそう”と表す感覚に近いもので、ぼくがここをそれで表すなら『落ちついていて気品がある』と表現する。先生もきっと同じだろう。
 簡単に調べたところここらは高い山が海からの湿気を遮って麓のこの森は湿度が高いのだとか、そのため乾いた場所を探すのは難しくどこも湿っている。ここの地面ははるか昔に
火山から流れ出た溶岩が冷え固まったものらしいけど生い茂る草と厚い苔からその様子を伺い知ることはできなかった。木は天高くそびえ、その幹もまた苔に覆われ、滴が伝っていた。まさに太古より生き続ける森だった。

 テントを設営し、日の出から日の入りまで広大な森をあてもなく探し回る。
 足元の草や枝の具合、頭上を覆う木々を上から下まで。とにかく舐め回すように。なんたって手掛かりはピンボケした写真しかない。何かがいるとしか分からないのだから。
 そうして四日目になったころに苔に深く残された足跡を見つけた。具合からしてさっきまでそこにいたらしく、どの動物にも属さない。残された向きからぼくの方を向いていたようだ。まるでじっとこちらを見ていたような、そんな気がした。

 それから森の中で音のしない空間があることに気が付いた。音の穴とでも言えばいいのか、そのあたりは静かなんてものじゃなく音の全てが反響を忘れたように帰ってこない空間で深海のさらに深い穴の入口のようだった。
 その中心にその生き物がいると確信した。でもそれ以上どうしようもなかった。
 行く先に現れて、近づくと雑音の中に消えいく。あちこちに仕掛けた隠しカメラもまるで意味をなさず、からかうように決まってカメラの裏側にあの時と同じ足跡が残っていた。
 一日、一日森を歩くだけで過ぎていく。音の穴はいつもあった。

 明日が最後の日。「少し探したら帰ろう」そう呟いて冷えた寝袋に潜り込む。その時も音の穴はそばにあるようだった。
 朝、目覚めはいつもと違った。寝袋の擦れる音も自分の心音も、喉を通る唾液の音もやけに大きく、血流さえも聞こえるほどに、全ての音が水底に沈殿して、ぼくはそれを掻き乱して濁らせる五月蠅い不純物のようだった。
 きっとそばに居る。それもずっと近い所に。音の穴が彼のテリトリーで正しいならぼくは獲物かもしれない。どんな生き物かもわからず、飛びつくようにこの森に入ってしまった事
を今になって後悔していた。もしかしたら熊のように大きくて怖い生物かも知れない。クマ除けのスプレーで退散するような相手か……きっとそんなことはないだろう。
好奇心に付き動かされていたときは微塵も考えなかった危険がどっと思考に溢れ、鼓動は激しい騒音となって押し寄せる。立ち去りたい、少しでも、一秒でも。

 薄い布の向こうから感じる存在はこちらを見ている。きっとそうだ。ぼくを見ている。動いちゃいけない、でもここから逃げたい。先生のあの写真は逃げようとしてたまたま撮ったものだったのか。先生が逃げたのだからぼくだって上手く行けば。
 逡巡する思考の外で手は自然とテントのジッパーに手をかけ、反対の手はカメラを構えていた。自分で何をしているのか理解できないままファインダー越しにその存在を見た。

 苔むした岩の上にまるでスフィンクスのように優雅に座るそれは一対の翼、四本の脚を持ち、爬虫類を思わせる鱗はエメラルドのように輝き朝日を反射する。口から漏れる炎はトカゲの舌のように見えた。神話の生き物がそこにいた。
 振るえる指がシャッターを切る。何度も、何度も。三枚……四枚……、七枚ほど撮ったところで彼はその翼でぼくの頭上を飛び越え森の奥に消えていった。音の穴が雑音を掻き分けるように彼を避けるようにして無音のまま去っていった。

 それから日本に帰るまでの記憶は曖昧で、意識がハッキリしたのは自分のアパートの玄関だった。
 全ての荷物をしっかりと持ち帰っていて夢のような気がしたけども、探索用の靴にくっついた土と苔がその場所に行っていたことを思い出させた。
 カメラには写真が一枚だけ残っていた。数枚撮ったはずなのに残ったのは先生の写真と同じような出来の悪いピントのあっていない写真が一枚だけだった。まるでその一枚を彼が選んで残したようだった。

 先生はあれを見てぼくと同じ思いだったのだろうか。今は凄くこの写真を誰かに見せたい。さっそく奥さんに報告しようかと思ったところで先生の顔が浮かんだ。電話越しのいつもと雰囲気の違う声を思い出した。
 この写真を見せたら奥さんはどうするだろう。友達に見せたらどうなるだろう。あの森にすぐに旅立ってしまうのだろうか。わからないけどきっとそうなる気がする。その時ぼくはどうなる? 話したら、見せたら、先生と同じようになる?
 少なくとも気持ちが落ち着くまでの間は黙っていよう。でもそれもいつまで? 誰かに話さずに黙っているなんてできるのかな。
 漠然とわいてくる「秘密」の二文字が静かな部屋に満ちているようだった。

作者紹介

≪作者名≫
meme11

≪作者連載先≫
・TwitterID:@legomasa_11meme

≪作者紹介≫
主にツイッター、カクヨムで主にファンタジーな小説を公開しています。気付くとドラゴンで村を焼いてしまいます。

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