穢れ落としの湖

ねど様作品

天使の仕事は、死んだ地上界の生き物の魂を天上界へ運ぶこと。しかし、それは死んだ後の生き物に限られ、死の瞬間に立ち会ってしまうと死の匂いが羽へと染み込み、やがては死を司る堕天使へと変貌してしまう。もしそうなってしまった場合は、やむを得ず処刑をすることになっていた。
 それを防ぐために、天使は死に立ち会うことを極力避けるが、なってしまった場合は地上と天上の間にある浮遊大陸に存在する、「穢れ落としの湖」で身を清めることを絶対としていた。穢れ落としの湖は、地上界で採れるホワイトセージの花と、天上界で採れるリリオネスの葉を持って行かなくてはならない。穢れを落としてくれる湖の主への捧げ物であるからだ。今日もその二つの貢物を持ち、穢れ落としの湖へやってきた天使がいた。


 「湖の主よ、穢れ落としのアレンティスよ、今ここに二つの捧げものを落とす。共に我の穢れも洗い流し、清めたまえ」
 美しい金髪の少女の姿をした天使がいた。湖の真ん中から顔を出す岩に降り立ち、花と葉を湖へと落とす。天使の羽は一部が黒くなり、また、頭髪も少し黒かった。
 花と葉がゆっくり湖へと沈んでいくと、そこを起点に水が沸き上がり、一人の人間、いや、片方のみの翼を持つ成人男性の姿をした天使が現れた。


 「セミュエラ、またお前か」
 翼が片方しかない天使、アレンティスは呆れたように言う。灰色の髪の毛が水のせいで肌に張り付き、色気を醸し出している。背の高いその天使の片側しかない羽は、半分が黒く染まっていた。
 セミュエラと呼ばれた少女の天使は、何も言葉を返さない。ただじっと足元を見ている。
 「だんだん来る日数の空き時間が短くなっている。先日来たのは五日前だったじゃないか。いくらなんでも死に立ち合い過ぎだ。ここで穢れを落としているとはいえ、お前の体への負担が……」
 「あと何回来たら、貴方はここから解放されるんですか」


 アレンティスの言葉を遮り、セミュエラは言う。アレンティスは困ったように腕を組み、セミュエラへと歩み寄った。
 「あのな……俺がなぜここで穢れ落としをしているかわかっているだろう?あと何回、穢れ落としをしたからと言って、そう簡単に許されるものではない。特に、同族の死を見放した者とあってはな」
 「存じています。それでも私は貴方をここから解放したい。私は、天使に戻られた貴方と共に死した魂を癒し、天上界へと導きたいのです……」
 セミュエラは、アレンティスの目を見ない。服の裾を握り、足元へ押し寄せる水につま先を遊ばせている。つま先の触れた先から、じわりと黒い液体が広がっていた。
 それを見てアレンティスは驚いた。
 「お前……そこまで穢れを溜めて……」
 セミュエラは何も言わない。双方とも何も言わなかった。

 アレンティスは、過去に同族、天使の死を目の当たりにしたことがあった。まだ地上界で天使の存在が浸透していない頃、仲間と共に一人の人間の魂を案内しようとした際に、悪魔祓いの力を持った人間に悪しき者として間違われてしまったのだ。
 その時、共にいた天使が身を挺してアレンティスを守った。アレンティスは、仲間を助けることなく、自分だけで天上界へ戻った。守ってくれた仲間は、悪魔祓いの力に抑えこまれ、悪しき者ではなかったにも関わらず、その命を奪われてしまったのだ。
 何度悔いたか、わからなかった。何故人間如きに恐れをなし、逃げてしまったのかと、怒りに打ち震えた日もあった。
見捨てた罪の重さと人間に怒りを抱いた罪で、アレンティスは片方の羽を奪われ、湖の主として天使達の穢れを落とすことが贖罪とされたのだった。

セミュエラは天使として、とても未熟であった。導くべき魂を見失って悪魔に奪われたり、自分が導くべき人間の魂を外の天使のものだと勘違いし、仕事を放棄してしまったり、何かと失敗が多かった。中でも多かったのは、到着が早すぎて、死の穢れを体に染みこませてしまうことだった。
初めてアレンティスの元を訪れ、穢れを落としてもらった時、セミュエラは衝撃を受けた。失敗をした時、多くの天使に責めたてられたものだったが、アレンティスだけは違った。アレンティスはセミュエラの失敗と穢れを受け入れてくれた。それがセミュエラには、唯一の癒しであり、救いだった。
いつしかセミュエラはアレンティスに興味を抱き、アレンティスのことを調べた。そうして湖の主になった理由を知り、贖罪が早く終わるようにと、わざと穢れを身に受けることが多くなった。それが自らの命を蝕んでいることには、気付かないふりをしていた。

 「……はっきり言おう。セミュエラ、もうお前の体から穢れは消せない」
 アレンティスは、真っすぐにセミュエラを見つめる。セミュエラは、それでも目を合わせない。つま先に触れた水に歪む黒を見つめていた。
 「俺にはもうどうすることもできない。天使として存在したいのなら、天上界に戻り、どうするか相談すべきだ」
 セミュエラはその言葉に、首を横に振った。何故、とアレンティスはため息をつく。
 「このままでは堕天使になるだけではありませんか。そうであれば、この湖の一部になりたい。どうすることもできないわけでは、ないですよね」


 実際、セミュエラの言う通りだった。アレンティスはこれまでも、穢れが多すぎて堕天使になる前の天使を、湖に沈めてきたことがある。天上界からの指示で、そうしてきた。
それはつまり、同族に手をかけているのと同じであった。贖罪のための穢れ落としなど、意味が無かったのだ。
「セミュエラ……自分が何を言っているのかわかっているのか」
「ええ、理解しております。私は結局、貴方を助けられないのですね」
「そんなこと、どうでもいい。お前が助からない。それでいいのか」
「いいのです。死しても、貴方の足元にいられるのなら」
セミュエラの言葉を聞き、アレンティスは目を瞑り、何かを考える。そして意を決し、水を呼び出した。


「いつから自分の行動に意味がないと気付いていた」
「意味がないなどと思いませんでした。堕天使がこの湖に沈むと知ったのはつい最近です。それからちょっとだけ、私がそこに近づくのを無理しただけです」
「なぜ、こんなことを」
「お慕いしている方の近くに居たいと思うことは、いけないことでしょうか」
「…………」
 アレンティスは眉をひそめる。彼の脳裏には、死を見放した天使が思い出されていた。
 「慕う相手を間違えたな、セミュエラ。俺を助けてくれた天使も俺を慕ってくれていた。だから、もし次に俺を慕ってくれる人が現れたなら、今度は絶対に助けると誓った」
 アレンティスの呼び出した水は、徐々にセミュエラの体を包み込んでいった。水の中に閉じ込められたセミュエラの周りに、黒い滲みがどんどん水の中へと溶けていく。水の向こうに、アレンティスの優しい微笑みが見える。
 「天上界へ戻れ、セミュエラ。そして俺の魂を、導いてくれ」
 それがセミュエラの聞いた、アレンティスの最後の言葉だった。

 セミュエラが目覚めた時には、周りには他の天使がいた。セミュエラを心配してくれたが、それ以上にセミュエラは湖が気になった。
湖は濁っているという表現が優しいと感じるほど黒くなっており、誰もいなかった。
 「アレンティス様……何もできないって、どうしてそんな嘘を……」
 セミュエラの髪の毛は全てが均等に美しい金髪になっており、羽は純白に戻っていた。湖面には、黒い羽が一つ、浮いていた。

作者紹介

≪作者名≫
ねど

≪作者連載先≫

・TwitterID:@niconico_nedo
・ホームページURL:http://nanos.jp/geness11/

≪作者紹介≫
お話を書くのが好き。普段はダーク寄りの話をよく書いている。
最近カクヨムにも登録しました。よかったら読んでやってください。
https://kakuyomu.jp/users/nedo_novel

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