あの人の道

遊佐堂様作品

最初の記憶は後ろ姿だ。すらっと上から下へと流れるようにきれいな輪郭を持つ体、ふんわりとなびく赤毛の長い髪。さざ波を聞きながら、私はぼーっとその人を見ていた。
次の記憶は部屋。天井は白色、壁は柔らかい黄色の部屋に私はいた。カモメの鳴き声で私は目覚めた。キョロキョロと視線を動かすとさっきの美しい後ろ姿が見えた。


「あの……」
声をかけると後ろ姿の女性が振り返った。ふんわりとした笑みを浮かべて女性は私に近づいてきた。
「あら、目が覚めたのね」
「ああ、その……ここは」
海の音、カモメの音が聞こえる。ここはどこなのか。いや、それよりも知りたいことがある。
「ここは私の家でもあり、楽園でもあると言ってもいいかしら」
「楽園?」
「そう、ここは出会いと別れがある楽園。たくさんの物語が込められた楽園よ」
女性は私の顔を覗き込む。
「それで、あなたにはどんな物語が、人生があったのかしら」

「……その期待しているところ悪いのですが」
 記憶がありません。わかりません、本当にわかりません。自分の名前とか今までのこととか。
 女性はあらまあと口に手を当てる。
「ごめんなさい、ぶしつけなことを言ってしまって」
「いや、私の方こそなんだか」
私と女性は互いに頭を下げあう。謝罪合戦が終わって頭を上げた女性は私をじっと見た。
「あなた、ここで住んでみない?」
「住む……」
「せっかくのお客様だもの。一緒に住みましょう」

記憶が戻るまで、怪我が戻って元気になるまで世話になることになった。女性の言う楽園の正体はなんなのか。住んでみてわかった。私たちがいる楽園はホテルだ。周りは海に囲まれたホテル。船や水上飛行機で客が訪れる。四方八方から様々な人がここに訪れていくのを私は部屋から見ていた。女性はここの主人で偉い人。レストランにある舞台に立って歌を歌い、みんなから羨望のまなざしを受けている。

「すごい人なんですね、イルダさんって」
女性の名前はイルダ。私はもくもくとミートスパゲッティを食べながらイルダさんの歌を聞く。うっとりとするくらい心地良い響きの歌声とピアノの音色が周りを包んでくれる。
「ああ、すごいぜ。イルダさんはここの、いやみんなのマドンナだからな」
「へえ」
バーテンダーのアダーモがうっとりとして言う。アダーモとは気が合うのか仲良くなった。イルダさんに憧れてここで働くようになったと言う。
「しかし、イルダさんに気に入られているお前もすごいぜ。最初とは違うくらいに今はかわいくなっているじゃねえか」
「そうかな。ただのお気に入りだけですごいなんてないと思うけど」
「イルダさんの目は本物だぜ。お前さんが何を抱えていたか知らないけれど、イルダさんはな、輝く原石を見つける天才なんだ」
アダーモが鼻息を荒くして話しまくる。私の何がすごいのかわからないけれど、アダーモの勢いに負けたのでとりあえずうなずいてみる。食事を終えた私は拍手喝采の会場を後にしていつもの場所に行った。

夜の海、危険だから行くなと言われているけど私は行く。この夜の海を見ていると何かを思い出しそうだ。太陽に照らされている海よりも暗い海に強く惹かれている。
「やっぱりここにいたのね」
振り返るとイルダさんがいた。階段の上にいて私を見下ろしている。
「ええ、何かわかることないかなと海を見ていました」
「記憶、取り戻したい?」
「……」
記憶、自分の今までが詰められているもの。その問いに私は素直にうんと言えなかった。イルダからもらったドレスをくしゃっと握りしめる。髪飾りがゆらっと揺れる。短い髪の私でも似合うようにイルダさんは着飾ってくれた。
「不思議な気分なんです。今がとても幸せで経験したことがないくらい、すごくいい気分。本当は記憶を取り戻したいけれど」
「私もあなたが何者なのかわからない。けど、これだけは考えられるかも」
イルダさんはホテルの主人という立場で培ってきた人間観察からどんな人物なのか想像することができる。それは合っていると言えば合っているし、間違っていると言えば間違っているもの。証拠はないけれど、人々の心に深く刻まれていくのだ。
それは私の特殊事情に関わること、そう、私がイルダさんと初めて会ったときのことだ。
「私はあなたを男だと思っていた。あなたの髪は短くて、白いシャツに長いパンツ。男そのものだった。けれど、あなたを寝巻に着替えたときにあなたがレディと知ったの。すごく窮屈だったみたいね、あなたの体は。記憶を失っていても潜在意識は残っているの、感情は。あなた、ドレスを着た時にすごくうれしそうだったの。初めて笑顔を見せてくれた。うれしかったわ。あなたの笑顔って素敵なのねって」
イルダさんに正面から褒められて私は顔が真っ赤になった。そんなことないですよとか口走るが顔のほてりが収まらない。


「あなたはもしかしてずっと何かの使命を持っていたのでしょう。大事な使命、それは古くから続いている何かを守るための使命だったのでしょうね。あなたはずっとその使命を持って生きていた。けど、今あなたは自由よ。ここで暮らしてもいいし、外に出てもいい。記憶が戻ったらその使命を持って再び生きるのもよし」
「……」
「私の話はこれでおしまい。そうだ、あなたの名前を考えないといけないわね。ずっとあなたって言うのは悪いもの」
「そうですね」
「図書館に行きましょう。辞書や図鑑からあなたにふさわしい名前を考えてあげる」


それからの私はイルダさんから名前をもらい、歌のレッスンや様々なことを学んだ。イルダさんの歩んでいた道は並大抵ではないし、過去の私が歩んでいた道も並大抵ではない。それなりに苦労はある。けれど、今の私は幸せだ。
いつか彼女みたいに素敵な人になれるのだろうか。私はあの時の後ろ姿を瞼の裏に浮かびながら今日も生きる。その見えない道の先に希望を馳せて。

作者紹介

≪作者名≫
遊佐堂

≪作者連載先≫
・TwitterID:@wakyo01

≪他サイトで連載中の作品≫
・「残機ゼロ 予告」:https://www.youtube.com/watch?v=2tq3MEjeCbo&t=2s
・「会話をしましょう、殺人鬼さん」:https://storie.jp/creator/story/13424

≪作者紹介≫
歌舞伎や大相撲が好きです。
最近は能や人形浄瑠璃を見るようになりました。

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